« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

2009年7月29日 (水)

「無意識と意識の間で」collection B 斉藤和義

斉藤和義が好きで何枚かアルバムを持っていて、その中の一枚が数ヶ月前に買った「collection B」。このアルバムのアレンジは総じてカッコイイけど、ことに「無意識と意識の間」 のアレンジの絶品具合に、今さっき気付いた。世界との合一を求める神秘主義的な希求を基調とする歌詞と曲に、jazz風の癒しテイストを施してあるという感じだけど、神秘主義と癒しがせめぎ合いながら、それらに落ち込むギリギリの所を踏みとどまっている。

Collectionb

斉藤和義というのはシンプルなアナキストといった風情で、ちょっと振れるとネット右翼やモラトリアム左翼なんかと親和的になるところもあるけど、どこか、それらの手前でとどまり続けている。

| | トラックバック (0)

2009年7月25日 (土)

iTunes for windows 8.2.1 インストール成功

インストール後に音が出なくなったiTunes8.2だったけど、新しく配布された8.2.1.6は問題なくインストール成功。まだ入れたばっかりで、これから何か問題が見つかるかもしれないけど、PCそのものの機能に影響するようなことはないでしょう。動作も8.1より軽くなったし、音もクリアになったような。まぁ良かった。

| | トラックバック (0)

2009年7月20日 (月)

仲ナヲリの発見

もう20年くらい前になるだろうか、NHKの歴史番組でロシアに漂流した日本人が紹介されていた。検索して調べてみると、たぶんそれは初めて露日辞典(というよりスラブ語‐薩摩弁辞典らしい)を編纂した「ゴンザ」という人物を紹介したものだったのではなかったかと思う。
その番組で、その露日辞典の内容が写っていた。それが本物の辞書の映像だったのか、イメージとして再現されたものだったのかも思い出せないけど、そこにあった訳に、ちょっと感銘したことがあった。
「Мир=仲ナヲリ」
確かこんな感じで、ロシア語の「平和」にあたる単語に「仲ナヲリ」をふっていた。この翻訳の映像は、番組の内容と関係が無く、たまたま映っていただけだったのか、番組自体がその翻訳に意味を持たせていたのかどうかも忘れてしまったけど、強く印象に残っている。

ゴンザが、適当な言葉を選んでいないだけかもしれない。ロシア語の「平和」にあたる言葉に、このようなニュアンスがあるのかどうかも自分には分からない。しかし、その翻訳の是非はともかく、「平和」といわれている事態を外側から眺めてみれば、そこにあるのは、絶え間のない対立と和解の繰り返しであり、少しでも注視すれば、葛藤の無い無風状態を目撃することのほうが難しいはずだ。
「平和」といわれる事態を眺めたゴンザに、それが「仲ナヲリ」と見えたのは当然のことだったのではないか。というようなことを考えて感動していた。

今となっては特別ココロ動かされる考えでもないように思えてしまうけど、当時の自分にとって、それはそれなりに意味のある発見だった。その発見とは「平和」の内実が利害相反の現場でしかないという暴露ではなく、また、利害相反を乗り越えて築かれる真の和解というものでもなく、直接の利害相反を包摂する次元での利害の一致を見出す知恵、そしてその知恵を引き出す意志のことを含意していたのだと思う。

| | トラックバック (0)

2009年7月11日 (土)

「佐藤宏」いまおかしんじ

「かえるのうた」のDVDに収録されている"特典映像”。「おじさん天国」のイカ釣りのおまけ映像もそうだけど、本編は、これらおまけの理解を促進するためのプロローグのように見えてくる。まぁ、それは言いすぎだけど、DVDの体験としては、そうなってしまう。まぁ、それも言いすぎだけど、しかし、おまけの持つ意義は小さくない。現代美術のワークショップ型のパフォーマンスのように、映画が映画として自立するのではなく、映画製作をも含めた全体を作品にするようなものが、このおまけ映像にはある。単なるメイキング映像では、こういう感じは出ない。だからといって監督の日常を撮ればいいということでもないだろう。そんな効果をねらって付けられてるわけでもないんだろうけど、まったくのおまけでもない感じがする。

010101

| | トラックバック (0)

梅雨と滅却

ここのところ、ずっとだるい。梅雨の攻撃だろう。しかし梅雨そのものの撃破はかなわない。自身の適応を図る道を選ぶわけだが、雨季専用の体毛に変わるような生物学的進化を求めるには、この1世代では間に合わない。そもそも日本民族はもう結構長いこと、この列島に住んでいるというのに未だに暑い寒いを口にせずにはおれないというところを見ると、生物の進化なんて概念はあてにはならない。日々、たゆまぬ健康管理に勤めている私には、もうこれ以上打つ手がない状態でもある。フィジカル面において後は風呂入って寝るだけである。最後の一手は、心頭滅却するくらいだが、mekkyakuを手中にする労力を考慮すると、費用対効果は高いとはいえない。しかたがないのでblogでグチることで心頭を攪拌して滅却的に散らす。摘出不能なものは散らす。善人なおもて往生す、いわんやblogerをや。

| | トラックバック (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »