思索

2009年7月20日 (月)

仲ナヲリの発見

もう20年くらい前になるだろうか、NHKの歴史番組でロシアに漂流した日本人が紹介されていた。検索して調べてみると、たぶんそれは初めて露日辞典(というよりスラブ語‐薩摩弁辞典らしい)を編纂した「ゴンザ」という人物を紹介したものだったのではなかったかと思う。
その番組で、その露日辞典の内容が写っていた。それが本物の辞書の映像だったのか、イメージとして再現されたものだったのかも思い出せないけど、そこにあった訳に、ちょっと感銘したことがあった。
「Мир=仲ナヲリ」
確かこんな感じで、ロシア語の「平和」にあたる単語に「仲ナヲリ」をふっていた。この翻訳の映像は、番組の内容と関係が無く、たまたま映っていただけだったのか、番組自体がその翻訳に意味を持たせていたのかどうかも忘れてしまったけど、強く印象に残っている。

ゴンザが、適当な言葉を選んでいないだけかもしれない。ロシア語の「平和」にあたる言葉に、このようなニュアンスがあるのかどうかも自分には分からない。しかし、その翻訳の是非はともかく、「平和」といわれている事態を外側から眺めてみれば、そこにあるのは、絶え間のない対立と和解の繰り返しであり、少しでも注視すれば、葛藤の無い無風状態を目撃することのほうが難しいはずだ。
「平和」といわれる事態を眺めたゴンザに、それが「仲ナヲリ」と見えたのは当然のことだったのではないか。というようなことを考えて感動していた。

今となっては特別ココロ動かされる考えでもないように思えてしまうけど、当時の自分にとって、それはそれなりに意味のある発見だった。その発見とは「平和」の内実が利害相反の現場でしかないという暴露ではなく、また、利害相反を乗り越えて築かれる真の和解というものでもなく、直接の利害相反を包摂する次元での利害の一致を見出す知恵、そしてその知恵を引き出す意志のことを含意していたのだと思う。

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2009年2月11日 (水)

建国記念の日

太宰治は「斜陽」のなかで、登場人物の直治に次のセリフを言わせている。

人間は、みな、同じものだ。
なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは働く者の優位を主張する。同じものだなどとは言わぬ。民主々義は、個人の尊重を主張する。同じものだなどとは言わぬ。ただ、牛太郎だけがそれをいう。「へへ、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか。」なぜ、同じだというのか。優れている、と言えないのか。奴隷根性の復讐。

文化と言われる物には、一定の価値の体系があり、優先順位の序列があり、価値の優劣があり、そこには、選別と排除がある。

その価値体系の質を上げ、排除されたものに再編入の機会を与え、優秀とされる価値を複数化して多様性を確保し、価値体系の硬直化を防ぎ、柔軟で豊かな文化を作り上げたとしても、選別と排除という構図そのものは無くならない。
何でも受け入れる平等な社会などは、子供の夢想にすぎない。そもそも、そんなことは成り立ちようもない。一見そんな平等が成り立っているように見えるものがあったとしても、それは別種の選別によるものだと見なければならない。

文化は序列なのだ。

ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ

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2008年12月 7日 (日)

全ては文学

最近、よく映画を見たり、小説を読んでいる。ここ数年、10年近くだろうか、そういうものは読めず、社会科学系のものを読んでいた。それが、ここにきて自分の中でモードが切り替わってしまった。理論なんてものに真面目に付き合っているとバカを見るという感じになってきた。まぁ、そう難しいものを読んでいたわけではないので、理屈の世界の何を知っているわけではないけど、理論にも適当に折り合いを付けて付き合っていくしかないのだと思うようにになった。そうなれば当然全ては文学ということになる。

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2008年8月 2日 (土)

自由・真空

自由とは極めて抽象的な概念であり、それ自体で存在するものではない。
限定されたカテゴリー内でのみ、その存在が、かろうじて確認可能なものである。

移動の自由という限定を設ければ、高速移動を可能とするテクノロジーの開発、移動テクノロジーの利用条件の簡易化、国家による人の移動の制限の法的緩和、等による移動に関する個人の裁量権の拡大をもって、移動の自由は拡大したとは言えるだろう。
その一方で移動の強制も同時に発生する。交通機関の運営を安定的に持続拡大するためには、大量の移動が常時行われなければならない。マーケティング技術は人を移動の欲望への拘束に働きかける。

権力の監視が霧消すると同時に、中間集団の闘争が激化する。

共同体の因習から解放されると同時に、孤独に閉塞される。

世界に真空は存在しない。
あらゆる領域に、あらゆる力が働いており、人は一時たりとも真空状態を得ることはない。
自由とは、充満した力を相対化する契機をもたらす符号であるほかはない。

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