心と体

2009年10月31日 (土)

眼科検診

武蔵野市から不惑の称号「眼科健康診査のお知らせ」を賜った。
500円硬貨を握りしめ、駅前ビルディング3Fにて開業している眼球専門医の扉を叩いた。
眼球に突風を受け、謎の点眼を施され、「うえ、した、みぎ、ひだり」と発声し、天井を見ろ、右の壁を見ろ、左の壁を見ろ、あげくの果てには下まで覗き込めと、見ても視線の快楽をなんら伴わない見ることの経験を完全に封殺された、眼球の運動のみに特化したコンセプチュアルな体験をしてきた。
最後は、現在使用中の眼鏡の度が強烈に過ぎること、年相応の白内障であることが告げられ、お土産に眼底写真を授かった。
眼科医勤務の女性看護士からの見送りを受けて一時間程たった現在、秘薬の点眼は私の視界を霧のロンドンに誘っている。

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2009年7月11日 (土)

梅雨と滅却

ここのところ、ずっとだるい。梅雨の攻撃だろう。しかし梅雨そのものの撃破はかなわない。自身の適応を図る道を選ぶわけだが、雨季専用の体毛に変わるような生物学的進化を求めるには、この1世代では間に合わない。そもそも日本民族はもう結構長いこと、この列島に住んでいるというのに未だに暑い寒いを口にせずにはおれないというところを見ると、生物の進化なんて概念はあてにはならない。日々、たゆまぬ健康管理に勤めている私には、もうこれ以上打つ手がない状態でもある。フィジカル面において後は風呂入って寝るだけである。最後の一手は、心頭滅却するくらいだが、mekkyakuを手中にする労力を考慮すると、費用対効果は高いとはいえない。しかたがないのでblogでグチることで心頭を攪拌して滅却的に散らす。摘出不能なものは散らす。善人なおもて往生す、いわんやblogerをや。

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2009年4月10日 (金)

ずつうはいやだなとおもう

きょうは頭痛がいたい。あたまが頭痛なので、頭痛がくるしい。あたまのこめかみにある動脈がドクンドクンといたいので、あたまが頭痛なのだとおもう。頭痛はいやだなとおもう。あたまが頭痛なので脳髄は変になっているのだとおもう。だから頭痛はいやだなとおもう。

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2008年5月25日 (日)

ビタミン剤

ほぼ外食生活なので、多少なりともそのフォローになればと、ビタミン剤を摂っている。今使っているのはエスエス製薬の「ゴールドEX」とネイチャーメイドの「B Complex」。色々と変遷を重ねてきたが、この組み合わせに落ち着いている。マルチビタミンなどはネイチャーメイドのほうが含有成分が多くていいんじゃないかと、試したことがあったが、どうも体調維持には「ゴールドEX」のほうがいいように感じる。B群はマルチビタミン剤にも含まれて入るが、別途摂取しないと、食欲不振や睡眠異常、イライラが出てくる。

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2007年12月 2日 (日)

嘔吐 ∧Auto ∧応答

胃の調子が悪く、数日の間、酷い嘔吐を繰り返していた。昼ごろから、胃に不快感があらわれ、夕方から嘔吐が始まり、明け方まで何度も何度も繰り返し嘔吐するという日々が続いていた。初めのうちはそのあまりに激しい胃の収縮運動にただただ、苦痛を覚えるだけであったが、そんな反応が三日も続くと嘔吐もautomaticなルーチーンワークじみはじめ、当初の悲壮感は薄れ、このバカ胃袋は一体何を押し戻そうと無為なエネルギーを浪費しているのかと、エコロジカルな認識でもって事態を俯瞰し始めるようになっていった。

こういう倒錯した現状追認が正常な判断能力を侵食しはじめたのか、そんな状態の胃であるにも関わらず、食欲は何故か、スーパーで売っている鶏の腿肉の照り焼きやら、テレビで見かけた韓国料理店の焼肉やらに興味を示す。当然ながら豊かな人生経験を持つ、不惑の私の悟性は、そんな暴走した感性に同調するはずもなく、しなやかな身のこなしでレトルトの御粥をレジスターの前に差し出す。

適温に調整された粥が胃袋に軟着陸を試みた直後、400ccのネイキッドバイクに乗る17歳の夏のように荒れ狂う胃は、それが自身の回復の一助であることも省みず、問答無用で抵抗を始める。米の半液状態が受け入れがたいなら、さらに人為が加わらないネイチャーなリンゴやバナナではどうだと、侵入作戦を試みるが敗退。こうなれば、もはや君の主観的な納得に協力してやろう、それで撃破するのも人生だろう。私は厨房の奥深く秘匿されてある、鈍く不遜な光沢を放つ刃物を取り出した。一連の機能を保っている形あるものを切断する為だけに製造された、その金属製品は、躊躇という心理機構の痕跡を運動に表現することなく、ビニールの包装を破断した。私と私の決意を現実のものとした刃物は、剥き身となった魚肉ソーセージを彼に突きつけた。

もはや懸命なる読者諸君の予想を裏切ることは出来ない。彼はその、不健康な人工肉槐を1本、2本、3本と受け入れていった。彼が静かに呟いていたように思えた。 見くびるな...と。

それを境に、胃による抵抗の季節は速やかに収斂に向かっていった。

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2007年4月30日 (月)

スネの悦楽

スネに損傷を受けることに対して、アプリオリな恐怖心がある。幼少の頃はギザギザの石の上へ正座させられる空想をしては、布団の中で一人悶絶していた。

しかし、近年私は、その恐怖の発生源でしかなかった部位を悦楽を発する装置に変換することに成功した。

椅子に腰掛け、かかとを床に付けたまま、つま先を上下に運動させるのである。スネにある筋肉が運動を開始し、23分もすれば、睡魔が意識を連れ去ってゆく。誘惑の悪魔との戦いに勝ち、意識を自身の身体に戻すと、我が肉体は椅子の上で、ガックリと首を落として、仮死状態になっている。私の強靭な意志力は肉体に、つま先の上げ下げの再開を命ずる。前脛骨筋は伸縮を繰り返し、徐々に熱をおびだす。頬の筋肉が上部方向に移動をはじめ、顔面が、アルカイックスマイル状に変形してゆく。いつもは、外界への警戒心しか示さないスネは自身が快楽を感ずる資格を持っていたことに感涙せざるを得ず、世界が美しいものであったことを、発見=創造するのである。

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2007年3月24日 (土)

肩こり

肩に不快感が発生する。ずっしりと感じる重みは、内発的なものというよりは、外部から何かが加えられていると考えることのほうが自然と感じる類のものだ。恨みは方々から買っている。否、押しかけられ、断っているにも関わらず玄関に残していかれ、代金を請求されているというのが実情であるはずだと考えるようにしている。

そんな生霊を退治すべく、ダンベルを持って除霊の舞を開始した。アップライトロウ、ベントオーバーリアレイズと命名されている身体操作は、常識的な日常感覚を持った市民の目を持って眺めれば、一方は日本猿のいきり立つ舞、一方は禿鷲の鳥葬の舞という以外に解釈のしようがなく、近代科学の装いを剥げばそこには、精霊信仰とミーメーシスの喜びに溢れている。

自然科学とアミニズムがタッグを組んだ、この舞にはさすがの生霊(あいつと、あいつと、あいつと、あいつだ!)も恐れをなして退散せざるを得なかったらしい。とはいえまだまだ、この肩に未練を残しているらしく、時に、そっと手を触れてくるとがあり、軽い念を感ずることもあるが、こういう謙虚な態度であるならばつい、話でも聞いてみるかという気を起こさないでもない。しかし、ちょっとでも甘い顔を見せればすぐに付け上がって、ありとあらゆる仕事を持ちかけてくるのは眼に見えている。猿と鷲による威嚇と慰めを手放せるときは当面訪れそうも無い。

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2006年6月15日 (木)

冷え性 諦念 達観 入滅

冷え性で下半身が冷えるので、真夏でも室内では下半身の保温が欠かせない。ズボン下にヒザのサポーター、スネや足の裏には使い捨てカイロを貼って、その上に、ポリエステルの薄手のジャージを履いている。こんなことは止めたいとずっと思ってきたが、さすがにもうこの症状が改善することは無いだろうと諦めている。諦めがつくと、それはそれで多少は気が楽になってくる。諦観の域には達したということにして、後は達観して入滅すれば、万事解決である。

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2006年5月10日 (水)

入浴のアンチノミー

お風呂に入ってリラックス。誰もが異議を唱えないこの言説に私は強い違和感を持っている。事実、私は入浴のたびに怒り狂っている。それまで、どうにか押さえ込んでいた感情、それも決まって怒りの感情が、熱した水道水に体を放り込み、体温が上昇するとともに湧き上がってくるのである。これも開放の一種なのか。それはそれで精神とやらの安定に有用な機能をハッキしているのだろうか。そんなことが待ち受けている浴室に、疲れた肉体を運んでいくには相当の勇気と実践力が必要なのだが、私の戦績は5割は超えており、自由契約は免れるくらいのプレーヤーではあるとジフしている。

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